ハイデラバード (Hyderabad、ウルドゥー語・シンド語:حيدر آباد) は、
パキスタンのシンド州の都市である。
かつてはシンド州の州都であったが、現在はハイデラバード県の県庁所在地である。
香水の都として知られ、「街の街路が香水で毎日洗い清められた」という伝承にちなみパキスタン建国以前には「インドのパリ」とも称された。

ハイデラバードの気候は気温・湿度ともに高い。
同地域のシンディー語文学運動の舞台となり、多くの詩人の生誕地でもある。
文化と伝統に恵まれ、世界最大の腕輪 (バングル) 生産地でもあり、
シンド州の都市部と地方を結ぶ交通の要所である。


インドのパリといわれた街だろうから、素敵なところなんだろうな。
そうなると、詩人が多く生まれるのもわからなくないかも。

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シャーラーマール庭園(ウルドゥー語:شالامار باغ)は、1641年にムガル帝国皇帝シャー・ジャハーンによって建設が開始され翌年完成した、ラホール市内にある歴史的建造物である。
この庭園の造営には、シャー・ジャハーンの宮廷に仕えたハリールッラー・ハーンの監督のもと、アリー・マルダーン・ハーンとムッラー・アラーウル・ムルク・トゥーニーの協力があった。
シャーラーマール庭園は、同じくラホール市内にあるラホール城とあわせて、1981年に、ユネスコの世界遺産に登録された。

なお、当項目名(およびユネスコ登録の英語名称)の「シャーラーマール」は、ラホールの街の人々の間でのローカルな名称である。
この庭園の歴史的な名称は「シャーリーマール(شالیمار)」(同じ名称の庭園がカシュミールなど他の街にも幾つか存在するので混同しないように注意)である。

綺麗に整った庭園ですね。
ただ、道路の拡張のために給水施設が壊れてしまったために、
危機遺産にも登録されています。

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ベーナズィール・ブットー(Benazir Bhutto、シンド語:بینظیر ڀھٽو、ウルドゥー語: بینظیر بھٹو)は、パキスタンの政治家、元首相 (1953年6月21日 - 2007年12月27日)。
イスラム諸国家における初の女性首相であり、後に暗殺された。

植民地独立後のイスラム諸国家における初の女性首相である。
父であるズルフィカール・アリー・ブットー元首相が設立したパキスタン人民党(PPP)の総裁(党首)となり、1988年と1993年の2度、首相に選出されているが、
いずれも汚職などを理由に解任されている。
2007年12月27日に、政界復帰を目指して、国会議員選挙運動中に暗殺された。


2年くらい前の年末に暗殺されたのがニュースになりましたね。
西欧では軍事政権と戦い、民主化を進めた人物として評価は高いのですが・・・
ただ、見方しだいでは「欧米向けの政治家」とも言われているそうで、
まだ評価が分かれています。

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ラホール城(Lahore Fort, قلعہ لاھور)は、パキスタン・パンジャーブ州ラホールにある歴史的建造物。市街の北西に位置し、城内にはシーシュ・マハル、アーラムギーリー門、ノウラーカー・パビリオン、モーティー・マスジドといった有名な遺跡が存在する。城塞は、1400フィート×1115フィートの広さがある。1981年、同じラホール市内のシャーラマール庭園とあわせて、ユネスコの世界遺産に登録された。 ラーホル街の人々の間で用いられるローカルな名称として、「シャーヒー・キラー(شاہی قلعہ)」(「王の城」)とも呼ばれる。

広そうなお城だなぁ・・・。

クエッタ (Quetta、 ウルドゥー語: کوئٹہ) は、パキスタンのバローチスターン州 の州都である。クエッタという地名は、「城砦」という意味のパシュトー語「kwatta」が語源といわれる。また、クエッタはメロンなどの豊かな産地で「パキスタンの果樹園」としても名高い。アフガニスタンとの国境に近い谷に位置し、北西のカンダハールと道路によって結ばれている。

クエッタはパキスタンの西端にあるが、道路、鉄道、空路などの広い交通網によって外の世界と結ばれている。

クエッタは3つの異なる山脈に囲まれた谷によって成り立っている。カラーチーの西、イスラマバードの南に位置する。


冬期には,最低気温は-13˚C付近であるのに対して最高気温が20˚Cを越えることは滅多にない。降雪は1月頃には普通に見られる。夏期の最高最低気温は、それぞれ40˚C および12˚Cである。国内の他地域とは異なり、クエッタにはモンスーンによる雨期はない。年中概ね乾燥した気候である。

スリルに満ちた冒険と楽しみでいっぱいの旅行先として、クエッタは海外からも多くの観光客が訪れる観光名所でもある。クエッタ市内には、カンダハーリー・バザールなど多くのバザールがある。


クエッタの人たちは観光客にも親切なんだそう。
そうなるとちょっと行ってみたくもなるね。

ペシャーワル(パシュトー語でپښور、ウルドゥー語でپشاور、アルファベット表記でPeshawar)は、パキスタンの北西辺境州の州都である。また、連邦直轄部族地域(トライバルエリア、FATA)の行政上の中心地である。人口122万人(2007年現在)。

ペシャーワルはペルシャ語で「高地の砦(High Fort)」という意味である。西に50km行けばカイバル峠があり、アフガニスタンとの国境にとても近い。

日本ではペシャワール、ペシャワルとも表記される。

ペシャワールがトルコ系ムスリムの支配を受けるようになったのは988年のことであった。それから、16世紀までの間、トルコ系ムスリムに協力したパシュトゥーン人の支配を受けることとなった。ムガール帝国がインドで勃興し、初代皇帝バーブルが今日のウズベキスタンまで侵攻し、ペシャーワルの再興が促された。1530年には、孫のアクバルが現在のペシャーワルを名づけ、市場や要塞の拡充に努めた。ムスリムの技術者、官僚、戦士、貿易商人、科学者、建築家、教育者、神学者、スーフィーらがペシャーワルに居住するようになった。


紀元前100年ごろは12万人の人口がいて、
当時世界第7位だったとか。
やるなぁ。

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K2(8,611m)は、カラコルム山脈にある山で標高は世界第2位。
パキスタンと中国・新疆ウイグル自治区との境に位置する。
不安定な天候、急な傾斜により登頂の難しさでは、エベレストより上と言われている。
そして、遭難者の数もエベレストより多く、チャールズ・ハウストン、ロバート・ベイツ共著の書籍から「非情の山」とも呼ばれている。

K2だけが有名だけど、K1やK3もあるんだって。
Kはカラコルムの略らしい。


カラチ(Karachi、ウルドゥー語表記:کراچی)は、パキスタン南部、アラビア海沿岸にあるパキスタン最大の都市。インダス川河口の西に位置する。シンド州の州都である。人口は約1400万人。また、パキスタンにおける商業・金融の中心地でもある。位置は、北緯24度48分、東経66度59分。


バローチスタン州やen:Makranに住んでいたバローチ人が漁村を作ったのがカラチの始まりである。バローチ人の多くが今も尚、カラチに居住しており、バローチ語ではこの都市のことをKolachiと呼ぶ。しかしながら、カラチが現在の姿に発展するようになったのは19世紀から始まるイギリス植民地時代に起因する。1947年、パキスタンが独立を達成すると、カラチはパキスタンの首都となり、インドからムスリムが多く移住した。独立直後の人口移動により、カラチは、急速に人口が拡大するとともに、パキスタンにおける政治・経済の中心として機能するようになった。カラチはインフラストラクチャーが貧弱だったこともあり、社会経済的に大きな問題に直面したが、現在では、パキスタンにおける産業・ビジネスの中心地として発展を遂げた。


カラチにはキンキラバスというバスが走っているらしい。
でも現地の人は「マツダ」って普通に言うみたいだけど・・・

ガンダーラのレリーフの中に巻物らしきものが存在するだけだが、
この時代は一部の富裕層の人々が板に文字を書きこんでいた。

当時のインドの書物の場合、飾りのある2枚の表板にはさんで、
繊維製の紐で綴じられて、贅沢品として輸出されていた。

このガンダーラの文殊菩薩は左手に巻物を持たせ、智慧の象徴としている。中心部は涅槃図、その両サイドは蓮華をあしらった模様と、唐草風模様、花びら模様となっている。

模様部分はいずれもガンダーラ遺跡にみられる模様を参考にした。


仏像や仏教美術っていままたブームなんだよね。

ハラッパー (Harappa) は、パキスタン北東部、パンジャブ地方、ラホールの南西約200kmのラーヴィー川左岸に位置し、モヘンジョダロと並び称されるインダス文明の都市遺跡でかつ標式遺跡として知られる。ハラッパとも。

この遺跡は、1853年、A.カニングハムによって発見され、特殊な印章が出土する遺跡として1875年に学会に報告されていたが、当時はまだ特定な文明の遺跡としては知られていなかった。

1921年に、R.B.D.R.サハニの発掘調査によって、未知の文明の都市遺跡であることが明らかにされた。その後のサハニによる数次わたる調査とほぼ同時期に行われたモヘンジョ=ダロの調査によって、インダス文明の存在と性質が位置づけられ、インダス文明の別名として知られる、「ハラッパー文化」の命名の起源になった。

1926年~34年までM.S.ヴァッツらによる発掘調査、1946年~47年には、M.ウィーラーによる発掘調査が行われた。1986年以降は、G.F.ディールズ、R.H.メドー、J.M.ケノイヤーらによるアメリカ隊が組織的な発掘調査を行っている。

遺跡のレンガ石を周辺住民が利用したり、東インド会社の鉄道敷設などで遺跡全体の保存状態は悪い。


世界四大文明のうちのひとつですね。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

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